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商品説明
廣橋兼胤公武御用日記・大日本近世史料・4冊/武家伝奏役を勤めた従一位准大臣廣橋兼胤の役務日記/質量ともに第一級の武家伝奏日記
1990年-1巻から4巻 何冊までは出たかは不明ですが、出品物は1巻から4巻までになります。部数は少なそうです。資料用にもいかがでしょうか。
『廣橋兼胤公武御用日記』は、寛延三年(一七五〇)より安永五年(一七七六)の二十七年間にわたり武家伝奏役を勤めた従一位准大臣廣橋兼胤の役務日記である。
江戸時代を通じて武家伝奏に補されたものは五十七名を数え、その役務日記が一般的呼称ともなっている公武御用日記であり、伝存するもの少くないが、兼胤は最も長期にわたってこの役務を勤め、全期間日記をつけ、纒って伝存していることは注目に値するものである。しかもその役務上、記事は広範にわたり、詳細である。重要記事も随所に見出され、例えば宝暦事件や明和事件などの〓末も本書によって知られる。本書は質量ともに、第一級の武家伝奏日記といえよう。
本書は、兼胤が武家伝奏に補された寛延三年六月に始まり、辞任して二ヶ月後に当る安永六年二月に終る。大部分は自筆原本が広橋真光氏に所蔵されている。
原題は、「公武御用日記」(三十五冊)、「関東下向之記」・「東行之日記」とある。前者は後年整理の際に付された新表紙には「八槐御記公武御用部」の書名がつけられている。これは安永五年十二月に兼胤が武家伝奏を免じられ、准大臣の宣下をうけ、特旨を以て関白・連枝親王の候所「八景画間」に候することを聴されたことに因むもので、八景の「八」と大臣の唐名である槐門の「槐」の組み合せによる。後者は役務にて江戸下向中の別記にあたる。いま、主要な武家伝秦の役務日記として本書を大日本近世史料に収載するに当り、これらの統称として、便宜、廣橋兼胤公武御用日記の題名を用いた。
自筆原本はいずれも袋綴本で、体裁もほぼ整っている。墨継ぎの具合その他からみて、浄書本であろう。本刊本は、原本の存する部分はすべて原本を底本とし、その存しない分は写本によって補った。なお、上述の趣旨から本刊本には含めなかったが、他に兼胤の日記には、享保十七年(一七三二)正月より天明元年(一七八一)七月に至る日並記「八槐御記」三十二冊その他がある。また、写本としては、「公武御用日記」に当る分は明治十六・十七年に謄写された「兼胤記」六十三冊が本所に、「東行之日記」及び日並記の分は明治二十五年に謄写された「八槐御記」三十五冊が内閣文庫に、それぞれ所蔵されている。
第一冊である本冊には、寛延三年六月より宝暦元年三月まで、それに寛延三年より宝暦二年に至る書札案留「関東御内慮書留」、寛延三年の「女院御増地一件書留」を収めた。日記本文は、六月二十一日、久我通兄の跡役として武家伝奏を仰付けられた日から起筆する。ときに兼胤三十六歳、従一位、権大納言。もう一人の「同役」は柳原光綱である。原本第一冊目の原表紙裏・同貼紙部分に、兼胤自筆になる「日記繰出」があり、第一冊収載の六月・七月・八月の三ケ月分については、これにより記載内容の大筋を知ることができる。ただしこれが存するのは第一冊分のみで、第二冊以降には及んでいない。また注目すべきことは、毎日の記事の各項の頭に朱の合点が付されており、これも兼胤自らの筆になるものと思慮されるが、第二冊目の九月末までで十月以降には及んでいない。これらが途中になっている事情については不明であるが、少くとも兼胤が自らの日記を利用しやすくしようとしていたことを窺わせるものである。
本書の広範多彩な内容については紹介するいとまは今ないが、一、二触れておく。一つは、女院御増地に関してで、幕府より女院(青綺門院)へ御増地が進献されることになり、その高につき京都所司代と武家伝奏の間で数度にわたって内談がなされている。これまでの御料は高二千石、収納高は八百石であったが、朝廷側では高はいかようとも収納高が二千石になるように要望し、所司代はこれは四ツ物成として高三千石の増額になり、関東へ申遣しても相調わないと難色を示し、武家伝奏は収納高二千石あれば毎年の「御取替金」も不要となると主張するなど、両者の巧みな交渉の有様が知られる。この結果は、十月十三日付で京都所司代宛の老中連署奉書?女院御増地として桜町院御旧料の内にて千石を進献するというものであった。いま一つは、「寛延三年官位御定」に関することで、同年九月二十四日、摂政一条道香が故桜町上皇の遺詔として、侍従・左右近衛府等の員数を制限し、堂上はじめ地下諸司・諸大夫・坊官等の官位昇進につき厳しい規定をし、諸社の祠官の任官・門跡諸大夫の官位・坊官の呼名を停止することなどを下命している。社家停任のことなどは天下にかかわることでもあり、武家伝奏にも知らされずに行なわれたこの摂政の取計いは、朝廷内でも大きな問題となり、ついに公武間の問題に発展し抜き差しならぬ状況となるが、公武間の諸交渉の結果、十二月二十七日、摂政が社家任官等復旧を下命をすることで落着する。その理由は「関東より申来ニ付」というものであった。
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